宮治和弘.jp

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【宮治和弘の略歴】
・0歳  豊田市で細胞分裂開始。
・3歳頃 自宅の風呂で溺れ祖父にオロナミンCを飲まされ蘇生。以後、命の水となる。
・4歳頃 平山幼稚園に通う。園長先生に好きなだけ工具を貸して貰い、工作に目覚める。
・6歳頃 平和小学校に通う。初めてトランジスタラジオを作る。電子工作に没頭する。
・7歳頃 発明クラブに入る。工作に没頭しまくり人生が狂う。
・10歳頃 宮治家に富士通OASYS 30AF2が入荷。完全に身体が「親指シフト化」する。
・11歳夏頃 ついに念願のパソコンをゲット。PanasonicのFS-A1WX。ぜっぱちのMSX2+。
・11歳冬頃 全国の創意工夫展で入賞する。作品は「無免許運転防止装置」。免許証を挿入しないと発進しない車。
・12歳頃 NHKで放送された「ニューメディアいつもでない1日」でパソコン通信を知る。
・13歳前期 豊南中学校に通う。OM世界大会(ロボコンみたいなやつ)に日本代表として初めて渡米する。
・13歳中期 豊田市創意工夫展で入賞(3位?)。作品は(今のプリウスに搭載されているような)ソーラーで夏期の車内の温度を下げるファン。
・13歳後期 毎日のようにBASICプログラム。そしてモデムカプラーを入手する。にパソコン通信を始める。300bps。
・14歳前期 MSX TurboRをゲット。R800 16bitだぜ。モデムも1200bpsとなる。BASICでホストプログラムの開発を開始。
・14歳中期 豊田市創意工夫展で入賞(2位?)。作品は全自動で生ゴミを固形化する装置。
・15歳前期 2400bpsモデムや40MB SASI HDDを導入する。数十人規模の草の根ネット運営。
・15歳中期 豊田市創意工夫展でトップ入賞。超音波と赤外線センサーでぶつからない車。愛知県、全国でも入賞。
・16歳前期 9600bpsモデム期。高校進学とともにEPSON互換機(PC-386GE)導入。
・16歳中期 名大際でCU-SeeMeに出会う。けど、まだtcp/ipやインターネットの世界よりISDN(豊田市初の個人敷設回線)やパソ通の興味の方が大きい。
・17歳前期 FAXを入手しUSRobotics社の14400bpsモデムを米国から輸入。売りさばく。
・17歳後期 DTM(MIDI)にハマる。音源はRoland CM32L、SC-55。そしてSerialMIDI I/Fの販売開始。爆発的に売れる。
・18歳前期 EPSON PC-486SRを購入。Cyrix486SLCのなんちゃって486から脱却。自宅に10BASE-2を敷設しNOVEL NetWareに触れる。
・18歳中期 自作PCに手を出す。ASUS 486SP-3G。そしてFreeBSD 2.6に手を出しMBRを吹っ飛ばす。fdiskが大嫌いに。
・18歳後期 ibbsalに入会しインターネットに手を出す。初めてずかしいページを作る。Netscape1.1。
・19歳前期 河合大学に進学。パソ通の知り合い(先輩)の紹介で何故か中京大学の情報科学部に出入りする。
・19歳中期 Linux Slackware2.0に手を出す。なんか性に合う感じ。
・20歳前期 大学進学。身体が完全にSunOS4になる。愛知県初のOCN 128Kbpsユーザーとなる。ドメインも取得。そして、Dual PentiumProのLinuxに感動する。
・20歳中期 大学で、SunOS、IRIX、Nextといろいろ触り身体が変になる。
・20歳後期 Librettoにハマりちっこいパソコンを買いあさる。(Libretto60→100→ff1100→U100→InterLink)
・21歳前期 PHSを初めて入手。完全に基地局おたくになる。
・21歳中期 cdmdOneのフィールドテストに参加。IDO/KDDIの虜になる。

…のちのち書きます(笑)



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